五十嵐汶水(ぶんすい)は、江戸後期から明治前半にかけて活躍した産科医です。
平沢領主高野家の家臣、五十嵐英允の次男として、文政5年(1822年)に誕生。
若年で両親を亡くしたため亘理郡亘理村の親類高橋家に身を寄せ、当時主流だった
賀川流の姫が難産した際無事出産させた功により、仙台城下に医院の開業を許され
ました。
幕末から明治にかけて、汶水は庶民への産科医学の知識普及に力を尽くしました。
汶水の教えは、当時最新だった西洋医学知識を広く取り入れるとともに、人命尊重の
大切さを説くものでした。
また、産婆の養成にも力を入れ、何人もの優秀な産婆を輩出しました。